元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(4)

「嫁さんとの結婚前から慰安婦取材していた」

阿比留「もちろん」

植村「高木さんと私はもう、その前から親しかったので、しょっちゅう出入りしていた。それで、いよいよ、裁判準備するというので。だから、遺族会だけの情報で書いたんじゃないんです。高木健一さんの弁護団。弁護団の許可がないと取材できませんからね。弁護団。それから『ハッキリ会』。臼杵敬子さんのハッキリ会。これは市民団体なんですが、当時は弁護団の通訳なんかもやっていて、弁護団を支援する団体、それと遺族会、この3つに取材して、そういう動きがあるということで、記事を書いたのは間違いない。

 で、遺族会の会長とか、あるいは(遺族会幹部で義母の)梁(順任)さんにも取材した。だけど、別にそれは特権的な取材じゃなくて、ご存じのように僕は1990(平成2)年の夏からずっと取材しているわけですよ。で、遺族会だって取材しているけど、90年の夏には(元慰安婦の女性が)出てこなかった。で、91年の8月には挺身隊問題対策協議会で、まあ、テープとそれとその調査報告みたいなものですか、そういうことだって話を聞けたんだけど、(金さんには)会えなかった。

 だけれども、そういう流れの中で、遺族会もやっているというのは分かりますよね。だからその弁護士たちが行くということで、私が同行許可を高木さんにもらって、高木さんと連絡をとってましたし、私、東京によく連絡したり、行ったりしてたんで」

「8月11日の記事は挺対協」

阿比留「当時の高木さんとか福島瑞穂さんたちと?」

植村「福島さんは直接ねえ、連絡しなかった。高木さんが団長で、かつ広報担当といいますか、要するに団長が取材に応じていた。福島さんももちろんこの、8月19日の記事のときにはいたんだと思います」

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