元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(3)

「時代状況を分かってほしいんだ、阿比留さん!」

阿比留「あのー、分かります。その事実関係は分かります。それでお聞きしたいのは、女子挺身隊と慰安婦の混同が韓国でかなりあったというのは分かるんですね。で、植村さん自身はどう思われていたんですか」

植村「僕もね、それは手記でも書いていたんだけれども、当時、韓国に行ったら分かるんですけど、挺身隊イコール慰安婦という形で使われておったんですよ」

阿比留「はい」

植村「この3ページのところに、まあ、植村はこんなことを、ほかの新聞社をあげて言ったとか言われるとあれだけど、まあ、要するに当時、そういう状況だった。で、それね、なんでかといったら、これもちょっと阿比留さんにあげようと思って持ってきたんですけど、これ見て(平成3年9月3日付産経新聞大阪本社版生活面の記事を示す)」

「読売とか産経とかに出ている」

植村「産経新聞だと思うんですけれども、まあ、挺身隊の名で戦場になんとかなんとかみたいな言い回しの記事というのは当時、読売とか産経とかいろんなところに出てるんですよ。つまり当時はどこでもそういうフレーズがあったの。私もそれが全く前提でしたね」

阿比留「弊紙がどこまで使っていたか分かりませんが、使っていたとして責任逃れする気は全然…」

植村「責任逃れとかじゃないの!阿比留さん! 僕はそれで捏造記者って言われているんですよ。ねっ? だけどそういう時代状況だったということを分かってほしいんだ、阿比留さん」

阿比留「ええ。だけど、そういうことは分かるんですが…」

植村「じゃあ、これ産経新聞なんだけど、これ尹貞玉さんにインタビューして書いた記事だよ。つまり、当時、尹貞玉さんたちは、そもそも(韓国)挺身隊問題対策協議会と書いているじゃない? だから挺身隊ということで慰安婦のことをずっと語ってきていたから、これがあったんだよね」

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