浪速風

マル暴に立ち向かった母

国内最大の指定暴力団山口組の分裂騒ぎで思い出した。30年ほど前、家族が入院していた病院に隣接する救命救急センターに、対立抗争で撃たれた山口組幹部が運び込まれた。知らずに見舞いに行くと、病院前に組員がたむろし、わが物顔に周囲を威圧していた。警官もいたが、正直、怖かった。

▶たった一人で暴力団に立ち向かった母親がいる。昭和60(1985)年に尼崎市内で起きた発砲事件の流れ弾で一人娘が死亡した。実行犯は逮捕されたが、組員は組長の命令で動く。ならば組長に責任を取らせなければ、と使用者責任を問う訴訟を起こした。とてつもない勇気である。

▶ひっきりなしに脅迫電話がかかり、駅のホームで突き落とされかけたこともある。脅しに屈せず、実質勝訴の和解を勝ち取った。警護の捜査員に「この人には指1本触れさせん」と言わせた堀江ひとみさんは3年前に亡くなったが、あらゆる法令を適用して暴力団を追いつめる先鞭をつけた。

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