山口組分裂・緊急再掲

バブルに乗じて東京進出 山口組若頭・宅見勝の生き様とは

 急遽(きゅうきょ)、レンタカーで大阪へ運んだが、現金の重みでカーブでは車のバランスが崩れるなど運転に苦労した。経営者は「まだ大阪までバブルの恩恵が及んでいなかった時期。東京の桁違いの羽振りの良さを宅見組長は実感した」と振り返る。10億円を受け取ると、宅見には東京進出という野望に火が付いた。

 宅見は山口組内で4代目の竹中正久や5代目の渡辺芳則の組長就任に向け、多数派工作に動くなど中心的な役割を果たし存在感を発揮。5代目体制ではナンバー2の若頭に上り詰めた。

 宅見の力の源泉は豊富な資金力だった。暴力団関係者によると、「日経新聞を読んでシノギ(資金源)のネタを探さなあかん。これからは税金を払うような稼業が必要や」と組員に助言していたという。暴力団と密接な関係を持ち資金提供などを行うフロント企業(企業舎弟)を傘下に置き、検事出身の弁護士や仕手グループなど豊富な人脈もあり、バブル経済で最も成功した暴力団の一人となった。

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