松山の善応寺、築300年と判明 再建時の棟札見つかる 「河野」姓発祥の地

 全国津々浦々に残る「河野」姓の発祥地とされる善応寺(松山市善応寺)が、8月で築300年を迎えたことがわかった。同寺の庫裏で、建築時の住職や大工らの名前を刻んだ棟札が発見され、落慶法要が正徳5(1715)年6月(旧暦)に執り行われたことが確認された。

 庫裏は客殿を兼ね、東西約11・7メートル、南北約23・4メートルで、屋根は入母屋様式の総瓦錣葺き。建材は県南部の山間地、久万地域のツガ、ヒノキ、マツなどが使われているという。

 高縄文昭住職(67)によると、庫裏は江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の意向を受け、松山藩4代藩主・松平定直の命で建築。一部は藩主がタカ狩りの際などに使う特別室が設えられていた。

 棟札は縦約1メートル、横約15センチの木製。第16代住職の西岩祖来の筆で、表に善応寺の由緒、裏に棟梁(とうりょう)・西原平衛門を筆頭に大工、木びきら13人、檀家(だんか)の庄屋・清右衛門をはじめ寺領内の庄屋、組頭14人、僧侶など関係者計33人の名前が並ぶ。

 昨年夏、庫裏内にエアコンを設置する際、かもいの長押(なげし)の中から作業をしていた左官がほこりまみれの古い板を見つけ、住職が水洗いしたところ棟札であることがわかったという。棟札は屋根裏の大黒柱上部などに貼り付けられていることが多い。

 住職も「長年、屋根裏を探していたが(見当たらず)、あきらめかけていた」と振り返り、「300年という節目を前に、思わぬところから現れてくれたことに不思議な縁を感じています」と感慨深く話した。

 寺伝によると、善応寺は建武2(1335)年、孝霊天皇から51代目にあたる伊予の豪族、河野通盛が本拠を道後湯築城(松山市道後公園)に移すに際し、自分が住んでいた居館周辺を京都の東福寺に模して創建。約70平方メートルの寺域には7棟の伽藍(がらん)、13棟の塔頭があったとされるが、天正13(1585)年、豊臣秀吉の四国征伐によって壊滅。庫裏はその跡地の一角に再建された。

 本尊の釈迦三尊仏は創建当時のもので、境内には通盛の供養塔がたたずんでいる。

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