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御巣鷹の事故でも生還できる
〈今年の夏で御巣鷹の事故から30年になる。1985(昭和60)年8月12日、日本航空(JAL)のジャンボ機(B747)が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落した。単独機の航空事故としては最悪の520人の命を奪った。毎年8月12日が近づくと、航空関係者らが空の安全を誓い合う。しかし世界の空から航空事故はなくならない。どう安全を守っていけばいいのだろうか〉
御巣鷹の事故はショック以外の何ものでもない。520人という犠牲者でしたから。ちなみに航空史上最大の死者数を出したのは、1977年3月27日、大西洋のカナリア諸島のテネリフェ島で起きたジャンボ機同士の地上衝突事故です。死者は両機合わせて583人でした。
なぜ、御巣鷹の事故を防げなかったのだろうか。操縦桿(かん)が利かなくなったときにどうやって切り抜けてそこから脱出するか。事故からどう生還するか。それをあの事故の乗員は知らなかったのだと思う。知っていれば520人もの死者を出さずに済んだだろう。
なぜこんな偉そうなことを言うかといえば、御巣鷹の事故の1年前、私は全日本空輸(ANA)で発行した『事故からの生還』という本に同様の事故からうまく切り抜けたケースを書いているからです。
1965年12月4日のニューヨーク上空。TWAのボーイングB707と、イースタン航空のロッキードスーパーコンステレーション(垂直尾翼が3枚あるプロペラ機で愛称「コニー」)が空中衝突。コニーは水平尾翼と垂直尾翼が壊れ、操縦不能に陥った。垂直尾翼が吹き飛んで操縦不能になってダッチロールを引き起こした御巣鷹の事故と似ています。