郷土偉人伝

荒井退造 激戦地の沖縄で県民疎開に尽力した警察部長 戦後70年に故郷・宇都宮の誇りに

 荒井の遺徳をしのぶ沖縄と栃木の交流は今年、急速に深まった。斎藤校長は4月下旬、沖縄へと旅立った。県庁・警察部壕を見たいと方々に問い合わせたところ、荒井の慰霊碑などを管理する「島守の会」関係者が「案内させて」と連絡してきた。荒井の母校、宇都宮高校のグラウンドの土を持って沖縄に向かった斎藤校長。荒井の故郷、栃木からの来訪者は珍しいと歓迎された。

 戦闘が激しくなった後、荒井らの執務場所となった地下壕を見た斎藤校長は「雨あられと爆弾が降る中、ここで過ごしたのかと思うと胸に迫るものがある」。知事室や警察部長室は畳2、3畳分の空間があり、それらをつなぐ幅2メートル程度の通路。やや広い空間は会議が開かれた場所だという。

 6月、宇都宮市内で塚田さんが講演会を開いた際は島守の会メンバーらも遠く沖縄から出席。宇都宮高校などゆかりの地を訪ね、宇都宮市内の荒井家の墓を参った。

 荒井が宇都宮高校に在校していたころ、正門を入って正面にあった本館は今、校内の奥に移築され、地名から「滝の原会館」として保存されている。その近くの石碑は、同校の基本精神を説いた「滝の原主義」の抜粋が刻まれている。

 「滝の原主義とは何ぞ 滝の原男児の本領を云う 滝の原主義は人物を作らんとするにあり 剛健なる真男子を作らんとするにあり 浮華軽俗なる時代精神に反抗せんがために 否、寧(むし)ろ之を救済せんがために 滝の原男児を作り上げんとするなり」

 6月に宇都宮を訪ねた、元沖縄県副知事の嘉数(かかず)昇明さんも「荒井退造の原点はここにあった」と感銘を受けたのであった。(水野拓昌)

会員限定記事会員サービス詳細