靖国神社を考える(2)神社側は「分祀あり得ぬ」「元の神霊 存在し続ける」

靖国神社をめぐる主な動き

 A級戦犯の分祀(ぶんし)について靖国神社は宗教上の観点から「不可能であり得ない。どのような議論がされようとも神社の回答に変わりはない」と否定する。

 「靖国に祭られる246万6千余柱の神霊の中から特定の神霊を分霊したとしても、元の神霊は存在し続ける」という。例えれば、コップの水からA級戦犯分の水滴だけを取り除くのは不可能だという考え方だ。

 A級戦犯とされた14人は昭和41年、厚生省から靖国に送られた公務死認定の戦没者名簿に記載された。扱いは保留されていたが53年に宮司になった松平永芳が合祀に踏み切った。それ以来、靖国の姿勢は変わっていない。

 その立場は「英霊顕彰」を掲げてきた日本遺族会からも支持されてきた。遺族会には東京裁判に対し、勝者が一方的に日本を断罪したとして「A級戦犯は連合国が決めたこと」「戦犯はいない」との認識がある。

 しかし、昨年10月、福岡県遺族連合会は「全ての国民にわだかまりなく参拝していただくため、昭和殉難者14柱を分祀すること」を求める決議を採択した。遺族会の支部組織では初めてとなる動きだった。

 同連合会の会長代行、新宮松比古(77)は「国民とともに天皇、皇后両陛下にお参りいただきたいという基本的な思いが出発点だ」と説明する。ミャンマーで戦死した新宮の父は、赤紙一枚で召集された。

 「14人のために(両陛下に)240万人超の英霊に対してお参りいただけない状況になっている。14人をないがしろにするのではなく、靖国以外で祭るのが一番いい方法ではないか」

 こう語る新宮は「中国、韓国への配慮は関係ない。あくまでも国内問題だ。戦後70年の節目に、何とか両陛下のご参拝に道筋をつけたい」と訴える。

 もっとも、こうした動きは大勢ではない。

始まりは戊辰戦争戦没者のため 祭神246万6000柱 身分の別なく

 靖国神社には祖国を守るために命をささげた人々の御霊が将官から一兵卒まで身分の別なく祭られている。明治2年、戊辰戦争の官軍の戦没者を弔うため明治天皇の意向で建てられた東京招魂社が始まりで、明治維新、日清・日露戦争、第二次大戦の戦没者ら祭神は246万6千余柱に上る。

 戦前、靖国は国家に保護されていたが、連合国軍総司令部(GHQ)は国家神道の廃止を命じ、一宗教法人となった。

 自民党は昭和44年以降、靖国を国管理の特殊法人にして英霊追悼の場にする法案を5回提出したが、実現しなかった。

 宗教法人になって以降の首相の参拝は昭和26年10月に吉田茂が初参拝した後、続いたが、政教分離の問題に加え、A級戦犯の合祀が明らかになり、中国から批判され政治・外交問題化するようになった。

 日本と戦ったわけではない韓国は当初、靖国問題についてあまり反応していなかったが、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代から中国と歩調をあわせ批判を強めている。

 首相の中曽根康弘は60年、初の首相公式参拝に踏み切ったが、内外から反発を浴び、平成8年の橋本龍太郎まで11年間にわたり首相の参拝は途絶えた。

 小泉純一郎は13年の就任以降、在任中は毎年参拝し、安倍晋三も25年に参拝した。

113万人の遺骨、なお帰還できず 今問われる慰霊の心

 先の大戦の外地での戦没者は約240万人。うち半数近い約113万人分の遺骨は、戦後70年を経てもなお帰還できずに現地に取り残されている。全ての遺骨の収容は現実的には不可能だが、戦没者の慰霊を続けていくことは、いま平和と繁栄を享受しているわれわれ日本人が果たすべき責務だろう。

 日本から遠く離れたガダルカナル島(ソロモン諸島)。苛烈な戦闘だけでなく、壮絶な飢餓や病で2万人超が命を落とした。このうち、約7千人分の遺骨が密林内に放置されたままだ。朽ちかけ土に戻ろうとしている遺骨を目にしたとき、「これが自分であればどうだろう…」と考え、同時に戦没者を忘れてはいけないと痛感する。

 国や家族を思い、過酷な状況で死んでいかねばならなかった人々の気持ちを思えばこそ、遺族や生還者は戦没者を悼み、慰霊を続けている。だが、これまで日本政府は遺骨収集について消極的だった。国民の多くも遺骨の存在を知らず、背を向けてきた。

 米国は「戦死者との約束」として、いまだに国の専門機関が遺骨を収容し、慰霊の誠をささげる。そこに戦勝国と敗戦国の違いはないはずだ。遺骨が戻らないならば、せめて慰霊を続ける。それが「国のため」と尊い命をひきかえにした戦没者との約束ではないか。

 その時に、忘れてならないのは戦没者の思いだ。兵士の多くは「靖国の社頭で会おう」と誓い合い戦地に向かった。靖国神社は戦没者や遺族らのみならず、日本人にとって、やはり特別な場所なのだ。

 靖国は国家が護持してきた。靖国に祭られることとは国に殉ずることであり、国民として最大の栄誉でもあった。かつてそういう時代があり、戦没者とその遺族のよりどころであった。

 靖国の年間参拝者数は平成14年ごろまでは約600万人で推移していたが、遺族らも高齢となり、現在は約500万人。今後、戦前・戦中を生きた人たちはさらに少なくなる。

 「靖国」はもはや政治的、外交的事情と切り離せない宿命を背負う。しかし、時代の変遷にかかわらず、戦没者慰霊の精神は本来、国民一人一人が考えるべきものだ。今こそ「日本人のこころ」が問われている。

【用語解説】A級戦犯 昭和21年、連合国による東京裁判で、共同謀議して侵略戦争を計画、遂行し「平和に対する罪」を犯したとされた日本の指導者ら。28人が起訴され、25人が有罪となり元首相・東條英機ら7人が絞首刑(元陸軍大将、松井石根は共同謀議が無罪で、通例の戦争犯罪で死刑になった)。16人が終身刑、2人が禁錮刑となった。処刑された7人と服役中などに死亡した7人が「昭和殉難者」として合祀された。A、B、Cの区別は明確な法的根拠はなく、連合国側が戦犯を選定する際に用いた便宜的な犯罪カテゴリー。「A級戦犯」という呼称は「通称」にすぎない。裁判自体が国際法を無視しているとの批判も強い。

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