戦後70年 東北からの伝言

(3)終戦の日 死線を越えて

【戦後70年 東北からの伝言】(3)終戦の日 死線を越えて
【戦後70年 東北からの伝言】(3)終戦の日 死線を越えて
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□満州引き揚げ 青森県八戸市 天内(あまない)みどりさん(82)

12歳の少女にとっては残虐すぎる光景だった。いや、大人でも同じだろう。

昭和20年8月15日の終戦を、日本統治下だった朝鮮北部(今の北朝鮮)の宣川(ソンチョン)で迎えた。日本が負けたと分かると、日本人に襲いかかる朝鮮人がいた。

午後3時ごろのことだ。野道を1人で歩いていると、15~16歳の5人の朝鮮人の男たちが大声で歌いながらやってきた。草むらに身を潜めてのぞいた。

男たちが持つ2本の長い棒の先には、若い日本人女性の足がくくり付けられていた。獲物のように逆さまにつるされた女性は全裸で血まみれ。体の真ん中には棒が刺さっていた…。

「許せない。きのうまで同じ日本国民だったのに、なぜ。絶対に忘れない」と心に誓った。「一生分の涙を流した。そして、それからは『泣かない、笑わない少女』になった。今の言葉で言えば心的外傷後ストレス障害(PTSD)」

■ソ連兵の女狩り

軍馬の世話をする獣医中佐の父、木村一栄さん=当時(42)、肋(ろく)膜炎を患う母、文子さん=同(35)、妹のかほるさん=同(6)=と一緒に満州(今の中国東北部)の首都、新京(今の長春)に住んでいた。

8月9日、ソ連軍が日ソ中立条約を破って侵攻してきたため、父を残して日本を目指し、列車で着いたのが宣川だった。

引き揚げの道は地獄だった。飢えや感染症に加え、鬼畜のようなソ連兵による女狩りが待っていた。自身も襲われそうになり、機関車の下にもぐって難を逃れたことがある。平壌(ピョンヤン)で入れられた日本人収容所では、多くの女性が連れ去られ、戻ってこなかった。

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