「宇都宮仕置」駆け引き記載 県立博物館、政宗の書状16日から初公開 - 産経ニュース

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「宇都宮仕置」駆け引き記載 県立博物館、政宗の書状16日から初公開

 「昼夜兼行で急ぎましたが…」「今夜出発し、あすには参上できます」。豊臣秀吉に宛て、遅参を釈明、懸命に急ぐ伊達政宗が向かう先は宇都宮。小田原征伐後、政宗が秀吉に宛てた書状を県立博物館が入手し、16~30日に初公開する。これまで存在が知られていなかった古文書で、「宇都宮仕置(しおき)」の裏事情が分かる貴重な史料だ。

 宇都宮仕置とそれに続く会津仕置は秀吉の天下統一の総仕上げ。1590(天正18)年7月26日~8月4日、秀吉は宇都宮に滞在して、参上した関東諸将の処遇を決めた。政宗は東北への先導役を命じられた。

 同館の江田郁夫学芸部長によると、政宗は秀吉より遅れ、28日に宇都宮到着。準備を整え、秀吉を迎えるはずの先導役が遅参とはとんだ失態だが、秀吉は政宗に甲冑(かっちゅう)を与えるなど上機嫌で対応したことが分かっている。

 書状は縦17・6センチ、横101・2センチの巻物。政宗が米沢から宇都宮へ急ぐ具体的な状況が明らかにされているという。「政宗の必死さもうかがえる」と江田さん。小田原参陣で東北のリーダーの地位を認められたが、独裁者・秀吉の意向次第では、どうなるか分からない不安定な状況。その中での遅参だった。

 書状では、米沢を23日に出発、徹夜で急いだが、人馬は疲弊し、途中で秀吉の宇都宮到着を知る。「このまま宇都宮まではせ参じるべきだが、荷物が到着しておらず、なおも遅れるのは予想外」と状況を説明し、「今夜出発し、あす午前10時ごろには参上できる」。書状は白河あたりで書いたと思われ、徹夜で急行する姿勢を示している。

 江田さんは「政宗が米沢から宇都宮へ向かう具体的な状況が明らかになった。同時に、宇都宮仕置の重要性も分かる」と強調する。秀吉側も、政宗を敵に回すより穏便に従わせたい意向があり、気をもんでいた。一方、政宗は領内の反乱といった遅参理由を明らかにできず、しれっと「荷物が到着していない」。宇都宮仕置の駆け引きもうかがわせる史料となっている。

 公開初日の16日には、県博デーとして、コンサートや合唱劇、小中学生対象のクイズ、体験活動が予定されている。