戦後70年 遠きインパール(中)

「白骨街道」助けられなかった戦友 「指の1本しか持って帰られなかった」

【戦後70年 遠きインパール(中)】「白骨街道」助けられなかった戦友 「指の1本しか持って帰られなかった」
【戦後70年 遠きインパール(中)】「白骨街道」助けられなかった戦友 「指の1本しか持って帰られなかった」
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 約10万の将兵が参加し、3万人が命を落とすという極めて高い死亡率を示したインパール作戦。日本軍の退却に使われた道には、行き倒れた兵士が連なっていた。南方の気候は遺体をすぐに腐敗させ、まもなく白骨化させていく。日本兵の骨で埋め尽くされた道は、いつしか「白骨街道」と言われるようになった。(豊吉広英)

「命令するしかない。仕方がない」上官も苦悩

 「指の1本、足の1本でも持って帰ってあげたかったけど、それもできなかった。仲間を皆、ジャングルに置きっぱなしにしてしまった」。歩兵214連隊の機関銃中隊の一員として作戦に従軍した東京都新宿区に住む小口和二(かつじ)さん(95)も、白骨街道で倒れた仲間の屍(しかばね)に後ろ髪を引かれながら退路を歩んだ一人だ。

 昭和15年に徴兵検査を受け合格。最初は中国北部で八路軍と戦った後、17年2月、ビルマ入りした。

 19年3月に始まったインパール作戦にも従軍。作戦開始から1カ月後の4月15日、後方へ弾薬を取りに行こうとした際に英軍の機関銃の掃射を受け、左足のすねを負傷した。竹を杖に野戦病院へ向かったが、受けた処置は消毒のみ。翌月には前線に復帰させられた。

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