戦後70年〜物言わぬ証言者

返された写真 感謝の裏で冥福忘れない

特攻の記憶を語る関原希代一さん
特攻の記憶を語る関原希代一さん

 飛行服姿などの若者6人が写る写真。「神風特別攻撃隊 福山隊 第十四区隊」の文字がある。昭和20年5、6月の特攻の夜、もし天気が良ければ、関原希代一さん(88)=鳥取市美萩野=は、この写真を再び見ることはなかった。

 同年6月26日夜、関原さんは天草海軍航空隊(熊本)講堂で、特攻出撃を待っていた。沖縄にいる敵艦の煙突部に体当たりせよ、との命令だ。「とにかくやったる」。怖さなどなかった。だが、雲が空を覆い、月明かりがない。曇天が幾晩か続き、結局、原隊(広島の福山海軍航空隊)復帰となった。

 搭乗機は250キロ爆弾を積んだ複葉の零式観測機。速度が遅く、出撃は敵に発見されにくい夜になる。その前、5月22日からも曇天続きで特攻に出撃できていなかった。そして6月25日には、福山隊十二、十三区隊は沖縄へ出撃、9人が戦死している。「26日は私たち十四区隊の番。天気が良ければ必ず死んどった」

 予科練時代から「日本の運命は貴様らにかかっている」と叩き込まれ、「死ぬのは使命」と思っていたのに、たまたま天候が命をつないだ。特攻隊の資料にするため海軍が撮った写真は、生きて帰ったら特攻隊じゃない、と返された。

 今、写真を見ると関原さんの胸には「感謝」「冥福」の2語が浮かぶ。「平和な70年を過ごせて夢のよう。感謝感謝だが、それには戦友の犠牲がある。感謝の裏で、冥福を忘れてはいけないと思うのです」

     (坂下芳樹)

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