戦後70年 遠きインパール(上)

「腰を下ろしたら、そこが墓場」衰弱の行軍 「日本兵は怖くなかった」

【戦後70年 遠きインパール(上)】「腰を下ろしたら、そこが墓場」衰弱の行軍 「日本兵は怖くなかった」
【戦後70年 遠きインパール(上)】「腰を下ろしたら、そこが墓場」衰弱の行軍 「日本兵は怖くなかった」
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 先の大戦を代表する激戦地ビルマ(現ミャンマー)。連合国軍の拠点だったインド・インパールの攻略を目指した「インパール作戦」は、補給を軽視した杜撰(ずさん)な作戦計画により、多数の犠牲を出したことでも知られている。この春、インパール作戦に参加した幾多の日本兵が踏みしめ、命を落とした場所を辿(たど)った。そこには70年を経た今も、かつての戦いの跡が色濃く残されていた。(豊吉広英)

進軍、敗走…すべてを見てきた「道」 至る所に日本軍の“形跡”

 その道は、まるで山腹に筆で1本の横線を引いたかのように、すっと長く延びていた。ミャンマー西部チン州。かつて日本軍の拠点があったカレミョウを北上し、野戦病院があったティディムを抜け、さらに国境を越えて、インド・インパールへ続く道。先の大戦で、日本軍の兵士らが進軍し、そして敗走した道だ。

 「この道は、日本兵たちが切り開いたといわれています」。現地少数民族、ゾーミ族のガイドはこう説明する。連合軍のようにブルドーザーなどの重機を持たぬ日本軍はツルハシやシャベルを使い、自らの手で従軍する道を作っていった。

 ティディム村を抜け、しばらく進んだ先の集落では、道を外れ、道なき道を下っていったガケの手前に、1つの石が立てられていた。

 表面に残る人工的に削られた跡。不鮮明だが「長」というようにも読める。地元の住民は「これは日本軍の兵隊の墓だと言われている」という。

 「他にも、日本軍のものがある」と促され、民家に入った。工具や食料が収められた箱の横には「九一式十糎榴弾砲 車載用弾薬箱」との文字。住民は「戦車のそばに落っこちていた」という。庭には、門代わりの大きな鉄の塊。旧日本軍の装備に詳しいライターの藤田昌雄氏によると、当時、ビルマ戦線に投入されていた九七式中戦車の一部である可能性があるという。

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