戦後70年〜昭和20年夏(6)

なぜシベリア抑留者は口を閉ざしたのか ソ連の「赤化教育」の実態は…「やらねば自分がやられる」

 秋元が再び教育に関わることができたのは今市市(現日光市)が市制に移行した29年。市教委で定年まで教育行政を担った。子や孫にも恵まれたが、今もシベリアでの悪夢は消えることがない。

 「シベリアでの出来事は何でも思い出せる。それほどつらかった。あの体験がその後の人生に影響したことは何もない。ただ、悪い思い出だけが残った…」

(敬称略)

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