戦後70年〜昭和20年夏(6)

なぜシベリア抑留者は口を閉ざしたのか ソ連の「赤化教育」の実態は…「やらねば自分がやられる」

 共産主義に賛同し、アクチブと認定されれば、ラーゲリでの処遇が改善され、早く帰還できる。実に陰湿な心理作戦だが、効果は大きかった。旧軍の序列を維持しながら助け合ってきた抑留者たちは次第に将校、下士官、兵で反目するようになった。密告も横行し、相互不信が広がった。

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 関東軍情報将校(少佐)だった山本明(96)=兵庫県芦屋市在住=は昭和20年11月、タタルスタン・エラブガの将校専用のラーゲリに送られた。23年夏に「ダモイ」(帰還)といわれ、列車に乗せられたが、山本ら情報将校や憲兵約200人はハバロフスクで足止めとなった。

 「天皇制打倒」「生産を上げよ」「スターリンに感謝せよ」-。ラーゲリの入り口にはこんな張り紙がベタベタ張られ、入所者の目には敵意がみなぎっていた。そこは「民主運動」の最前線だった。

 「生きては帰さんぞ…」

 入所早々、反ファシスト委員長を名乗る背の低い男は、山本らを高知なまりでこう脅した。

 その言葉通りつるし上げが連日続いた。「言動が反ソ的」「労働を怠けた」-。ほとんど難癖だった。

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