戦後70年〜昭和20年夏(6)

なぜシベリア抑留者は口を閉ざしたのか ソ連の「赤化教育」の実態は…「やらねば自分がやられる」

 見込みがある者は「小学校」「中学校」と呼ばれる教育機関に入れられ、さらに赤化教育を受けた。「中学校」を卒業した優秀者は、各ラーゲリの選抜メンバーとともに1カ所に集められ、3カ月間教育を受けた。収容所に戻ると指導的立場となった。

 民主運動は次第に過激化し、将校や下士官だけでなく、共産主義に賛同しない者も次々に糾弾された。

 日本人同士の密告も横行し、ラーゲリ中に人間不信が広がった。多くの抑留者が口をつぐむ理由はここにある。元上等兵は周囲にこう言い聞かせた。

 「日の丸の赤と白の部分を頭の中で入れ替えろ。赤に染まったようにカムフラージュするんだ」

   × × ×

 ソ連が日本人将兵を抑留したのは「労働力」目当てだったが、途中からアクチブ(活動分子)を養成して日本を共産主義化させようと考えを変えた。

 赤化教育に利用したのが、ソ連軍政治部が週3回発行する抑留者向けのタブロイド紙「日本新聞」だった。編集長はイワン・コワレンコ。後に対日工作の責任者となり「闇の司祭」と呼ばれた男だった。

 共産主義を礼賛し、天皇制や日本の批判を繰り返すプロパガンダ紙だが、日本語に飢えていた抑留者に次第に浸透した。

会員限定記事会員サービス詳細