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ソ連軍によりシベリア抑留され、帰還した日本人将兵は50万人を超えるが、その多くが抑留体験について口を閉ざした。寒さと飢え、重労働、仲間の死-。思いだしたくもないのは当然だが、もう一つ理由があった。日本の共産主義化をもくろむソ連の赤化教育だった。
「軍隊時代、貴様はみんなに暴力をふるった!」
極東・ハバロフスクのラーゲリ(収容所)で、1人の男が壇上の男を糾弾すると他も同調した。
「同感だ!」「この男は反動だ」「つるせ!」-。
天井の梁に渡したロープが壇上の首に回され、男の体が宙に浮いた。苦悶がにじむ表情に鼻水が垂れ、絶命寸前で男は解放された。
ラーゲリの隣はソ連極東軍総司令部と裁判所。尋問や裁判で連行された将校や下士官がラーゲリに宿泊する度につるし上げた。
「嫌だったが、仕方なかった。そうしないと自分がやられた…」
つるし上げの「議長」(進行役)を務めた元上等兵(90)はこう打ち明けた。
ハバロフスクのラーゲリで「民主運動」という名の赤化教育が始まったのは昭和21年秋。労働を終えた午後7時ごろから1時間ほど、共産党員だった日本人が「共産党小史」を基に講義した。