日航機墜落30年

123便に乗るはずだった書道家、鎮魂の初個展 大阪で 

【日航機墜落30年】123便に乗るはずだった書道家、鎮魂の初個展 大阪で 
【日航機墜落30年】123便に乗るはずだった書道家、鎮魂の初個展 大阪で 
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 乗員乗客520人が亡くなった日航ジャンボ機墜落事故から12日で30年となる。あの日、事故機に乗るはずだった書道家が鎮魂の思いを込めた個展が11日、大阪市内で始まった。搭乗便の変更と、節目の年にたまたまできたギャラリーの空き。これまで生きていることへの後ろめたさから事故について表現することにためらいがあったが、2つのキャンセルを縁に、哀悼の意をあらためて書で表した。

 昭和60年8月12日。大阪府箕面市の村尾晞峰(きほう)(本名・清一)さん(75)は東京で開かれた書道展の表彰式の帰り、墜落した123便を予約していた。しかし、予定より早く羽田空港に着いたため、キャンセルが出たひとつ前の121便に乗り換えた。

 搭乗しようとしたとき、ゲートで会った4人家族のことが今も忘れられない。なかに水槽を持った子供がいた。このままでは機内持ち込みができないと検査員に止められ、家族は村尾さんと入れ替わるように次の便に乗ることになった。のちに、犠牲者に4人家族がいたことを知った。

 一昨年の春、書道展でよく利用するホテルのギャラリーの係員から、今年のお盆前後の催しにキャンセルが出たと聞いた。事故から節目の30年。人生初の個展を開こうと申し込んだ。

 以来、書で作品に記す言葉を選び、さらには絵も学んで自分で紙をすいたりもして、36点をつくりあげた。そのなかには事故で亡くなった坂本九さんが歌った「見上げてごらん夜の星を」の歌詞もある。

 本当は今も、個展を開くことがこわいのだという。毎年のように墜落現場の御巣鷹の尾根へ慰霊登山に行くが、遺族とすれちがっても言葉を交わすことができない。偶然生きながらえた自分の立場を言い出しにくく、接点を持てなかった。

 「後ろめたい気持ちがあるんです。こんなことをしていいのだろうか、と。でも30年の節目で、心を新たにしたいと思い切りました」。「感謝と鎮魂 村尾晞峰書作展」は16日まで、大阪市北区中之島のリーガロイヤルホテル1階のリーガロイヤルギャラリーで開かれる。入場無料。

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