隠れた「遺産」横須賀製鉄所(下)

「称するのほかこれなし」東郷、秋山が感謝 日本海海戦勝利を支えた技術

【隠れた「遺産」横須賀製鉄所(下)】「称するのほかこれなし」東郷、秋山が感謝 日本海海戦勝利を支えた技術
【隠れた「遺産」横須賀製鉄所(下)】「称するのほかこれなし」東郷、秋山が感謝 日本海海戦勝利を支えた技術
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 近代化を成し遂げた日本が列強と肩を並べるきっかけとなった日露戦争。日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を迎え撃ち、日露戦争の勝利を決定づけた日本海海戦から、くしくも今年で110年になる。「世界初の本格的近代海戦」として、諸外国の注目も集めた大海戦完勝の陰には、建艦能力の向上や人材育成で近代化を下支えしてきた横須賀製鉄所(明治36年から横須賀海軍工廠、神奈川県横須賀市)の働きがあった。(橋本昌宗)

20世紀初頭には世界に並ぶ建艦能力

 横須賀製鉄所は、船の建造を目的に建設されたが、当初は船の修理や小型船の製作が主だった。

 国産初の軍艦である木製の2等砲艦「清輝」を完成させたのが明治9(1876)年。排水量は1千トンに満たないが、遠洋航海能力を持たせることができた。

 明治10年代からは、フランスのお抱え外国人を帰国させ、工場の運営や船の設計、建造、進水も徐々に日本人で行うように。17年には鋼鉄製の軍艦を完成させるなど、建艦能力を向上させていった。

 ただ、明治38(1905)年の日本海海戦に参加した艦船90隻の内、戦艦、巡洋艦など主力艦を含む55隻は輸入艦で、海上戦力の多くを海外に頼る現状は続いていた。

 横須賀製鉄所は4年に横須賀造船所、36年に横須賀海軍工廠と名前を変えた。国内ではこのほか、22年には呉(広島県呉市)、佐世保(長崎県佐世保市)、34年には舞鶴(京都府舞鶴市)で同様に造船所や海軍工廠が立ち上がった。

 日本海海戦当時の連合艦隊旗艦「三笠」を管理する公益財団法人「三笠保存会」の荒川堯一理事長は「輸入艦のほとんどがイギリス製だったが、注目に値するのは日露戦争が終わる38年、横須賀海軍工廠で排水量が1万9千トンにも及ぶ戦艦『薩摩』の建造が始まったことだ」と指摘する。

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