1991(平成3)年から抑留者調査や遺骨収集に協力してきたガリーナ・ポタポワ(76)は、ある埋葬地で日本人女性が慟哭する姿に衝撃を受けた。
「やっとお父さんを見つけた。お母さんは死んだわ。ここに来られて本当によかった…」
その姿は、戦死した父の墓を80年代に見つけた時の自分と同じだった。ポタポワはこう語った。
「『埋葬地に来てやっと私にとっての戦争が終わった』と言われるのが何よりもうれしい。この問題に国籍は関係ありません」
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コムソモリスクには1945(昭和20)年~49(昭和24)年にかけ、日本人約1万5千人が抑留された。満足な食事も与えられぬ中、日本人はよく働き、ホテル、学校、住宅など432の建物を建築した。
街の中心部のホテル「アムール」は内部こそ改装されたが、今もなお現役。同じく日本人が建てた2階建て集合住宅群に住む元調理師のタマーラ・ボブリク(68)はこう語った。