食事は朝晩はコウリャンやアワの薄い粥(かゆ)。昼は握り拳ほどの黒パン。空腹をこらえながら木材伐採を続けた。2人一組で直径30~40センチの木を切り倒し、枝を落として1メートルの長さにそろえ集積所まで運ぶ。1日のノルマは6立方メートル。氷点下30度でも作業は続いた。
夜中に「ザザーッ」という不気味な音がすると誰かが死んだ知らせだった。南京虫(トコジラミ)が冷たくなった遺体を離れ、他の寝床に移動する音だった。
凍土は簡単に掘れない。遺体は丸太のように外に積まれた。
そんな安田らを乗せた帰還船がナホトカを出航したのは23年5月11日。14日未明、灯台が見えた。「日本だ!」。どこからともなく万歳が上がった。
夜が明けると新緑が広がる京都・舞鶴の山々が見えた。シベリアのどす黒い針葉樹林とは全く違う。「山ってこんなにきれいだったのか…」。全員が涙を浮かべて景色にみとれた。(敬称略)