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12人の客室乗務員が犠牲になった30年前の日航機墜落事故。遺族の中には「家族が事故を起こした日航の社員」という意識から、今も世間に負い目を感じて生きている人は多い。
「自分はそんなふうに思えない。悪いことをやっていたわけじゃない。そのことで自分が弱っては、まりちゃんに顔向けできない」
率直な思いを語るのは、客室乗務員12人のうちの一人だった赤田真理子さん=当時(31)=の夫、雄一さん(60)=東京都港区=だ。
「あの夏」から今まで、残された一人息子の力(りき)さん(32)とともに胸を張って生きてきた。
事故の12年前、真理子さんは初めて出会ったときから「スチュワーデスになりたい」と熱望していた。当初は就職活動がうまくいかず、旅行会社に就職したが、諦めずに再挑戦して夢をつかんだ。
「決めたことは何と言おうと曲げない性格だった」
結婚後も忙しく国内を飛び回る中、力さんを授かった。産休はわずか産後2カ月までだったが、不思議なことに復帰前日にぴたりと母乳が止まったという。
「仕事に戻りたくて仕方がなかったんだろう」
真理子さんは、生まれた力さんのために「(フライト中に)何かあったら乗客を置いて一番に逃げるね」と冗談も言っていた。
その「何か」は力さんが3歳になる直前に起こり、真理子さんの命を奪った。
「母の声を聞きたい」息子の初めての本音
物心もついていない力さんに、母が亡くなったことを説明できず、ようやく小学校入学の直前になってから伝えた。力さんは淡々と「知ってるよ」と答えた。
「まさに『ふびん』という感じ。泣きわめいてくれた方が逆に良かった」