戦後70年 昭和20年夏(4)

ソ連軍157万人が満州侵攻 戦車に潰された王道楽土の夢

 ソ連軍侵攻を知った関東軍総司令官で陸軍大将の山田乙三は8月9日午後、出張先の大連(現遼寧省大連市)から満州国の首都・新京(現吉林省長春市)の総司令部に戻ると、皇帝の愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ)に拝謁した。

 「陛下、総司令部は近日中に、朝鮮との国境近くの通化(現吉林省通化市)に転進いたします」

 山田は、満州国政府を、通化近くの臨江(現吉林省臨江市)に遷都することも提案した。満州国政府内には「国民とともに新京にとどまるべきだ」との声もあったが、溥儀は13日に臨江近郊に移った。

 山田は、撤退により持久戦に持ち込む考えだったが、これには関東軍内にも異論があった。

 当時、満州にいた民間の在留邦人は約155万人。男は大半が軍に臨時召集されていたので女や子供、老人ばかりだった。その多くが突然のソ連軍侵攻で大混乱に陥っており、避難が進まない中で軍が撤退すれば、民間被害が拡大する公算が大きかった。

 満州西部を守る第3方面軍司令官で陸軍大将の後宮(うしろく)淳は、邦人が避難する時間を稼ぐため、玉砕覚悟で方面軍をソ連軍の進撃路に集中させようとしたが、結局、作戦参謀らに説き伏せられて断念した。もし後宮が自らの作戦を決行していれば、邦人被害はもう少し防げたかもしれない。

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