輝子さんが酒を飲む日々は続いていたが、約5年前に体調を崩し、体が酒を受け付けなくなった。輝子さんは「姉ちゃんに『ええかげんにせんかい』って叱られたのだと思う」と話す。
それでも娘たちが亡くなったことは信じられない。「姉ちゃんは『私が家を継ぐからお父さんが気に入った男の人を連れてきてくれれば一緒になるよ』と話していた。ずっと一緒に暮らせるって…」
慰霊登山は年齢的に厳しさを増し、今では親族に抱えられて登ることもある。
「私が待っててやらないと、姉ちゃんたち困るでしょ? だから待ってるよ」
それでも輝子さんは、この言葉を伝えに御巣鷹の尾根に向かう。
親吾さんも「元気なうちはというより、生きているうちは登る」と執念を見せる。30年だから特別に何かを伝えるというわけではない。「今年も2人して元気にお参りにきた」と言う。それだけで十分だ。
親吾さんは娘たちの死を受け入れているはずなのに「子供が呼んでいる」と感じている。2人の時間は今も止まったままだ。
◇
520人が犠牲となった日航ジャンボ機墜落事故は、12日で発生から30年を迎える。時が止まったままの両親、前に向かって歩む夫…。遺族はそれぞれの今を生きるが、空の上にいる「あなた」に伝えたいことがあるのは一緒だ。その30年間の思いをつづった。
◇