空のあなたへ 日航機墜落30年(上)

「死ぬまで帰り待っている」 娘3人を失った両親、止まった時間

酒で紛らわせた日々…「3年記憶ない」

 事故後、輝子さんは悲しさや寂しさを酒で紛らわせるようになった。「3年くらい記憶がない」

 当時は3姉妹が帰るはずだった大阪(伊丹)空港の直近に住んでおり、毎日決まって事故機の着陸予定時刻が近づくと、2階のベランダに出ては着陸機を眺めて「あれに乗って帰ってくる」とつぶやいていた。

 ウイスキーを片手に仏壇の前に座っては「電話してこい」「何してるの」と遺影に語りかける日々。街中に陽子さんと同じ髪の長い女性を見かけ、しばらく後をついて行ってしまうこともあった。

 近所からは「日航から3人分も賠償金をもらえるからいいね」などと、心ない言葉もかけられた。

 そんなときに遺族でつくる「8・12連絡会」の発足を知り、親吾さんが輝子さんを会合に連れて行った。親吾さんは「同じ悲しみを背負う遺族同士で話すことで、気持ちのはけ口になったと思う」と振り返る。

姉ちゃんに「ええ加減にせんかい」

 平成元年、夫婦2人暮らしには手広くなった大阪の自宅から、現在の自宅に引っ越した。

 近所の人には遺族であることを隠したが、10年ほど前に報道を通じて知られると、花を持って訪ねてきたり、「よう辛抱したね」と声を掛けてきたりする人がいた。今度は優しさに触れた。

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