御巣鷹を語る

日航ジャンボ機墜落事故30年(上)想像絶した遺体捜索・収容 

 □元管区機動隊高崎小隊長・関松男さん(62)

 昭和60年8月12日。高崎署での通常勤務を終え、宿舎に帰った。午後7~8時ごろ黒電話が鳴り響き、非常招集がかかった。東京(羽田)発大阪(伊丹)行き日本航空123便の機影が消えたとの連絡だった。

 当時、関東管区機動隊高崎小隊長だった関松男さん(62)も現場に向かった。到着は深夜。そのときは現場がどこかもわからず機動隊は二手に分かれて捜索を始めた。

 暗い山道を登り続け、夜が明けたころ、ある隊員が「煙発見」と声を上げた。上空では自衛隊機が旋回、すぐにそこが墜落現場だとわかった。道案内をしていた猟友会に現場までの時間を尋ねたが、答えは「丸1日はかかる距離」だった。

 やむなく部隊は来た道を引き返し、13日のうちに下山。14日は夜明けを待たず墜落現場を目指した。

史上最悪の現場

 夜明けとほぼ同時に「御巣鷹の尾根」(上野村)にたどり着くと、目に飛び込んできた光景は想像を絶するものだった。木の上に引っかかった遺体の一部。焼け焦げた遺体もあった。史上最悪の航空機事故の現場だと確信した。

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