【広島原爆の日70年】お好み焼きは「広島復興」の象徴 (2/3ページ) - 産経ニュース

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広島原爆の日70年

お好み焼きは「広島復興」の象徴 

 戦後の配給品が乏しい時期。栄養をつけ空腹を満たす料理には、広島のお好み焼きは最適だった。しかし当然、苦労も多かった。

 一方で、多くの出会いもあった。客に請われて戦争経験を語ることもあり、お好み焼きの味と梶山さんの明るい人柄に常連客が増えた。60歳を過ぎた頃から甲状腺がんを患い、店を休むことも増えたが、そのたびに「早く元気になって」と見舞客が来てくれた。

 店は今年開店50年を迎えたが、「お客さんが待っているから、辞めようと思ったことは一度もない」。8月6日は母の命日だが、遠方から決まって常連客が訪れる。だから、母の供養を事前に済ませて店に立つ。

 生前の母の記憶はほとんどないが、墓前で自然と口をついて出るのは感謝の言葉だ。「4歳で死んでも不思議じゃなかった人生。母はいつも見守ってくれている。たくさんの人の支えもあって、幸せに生きて来られた」-。体が許す限り、店に立ち続けたいという。

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県内に1800軒 いまなおソウルフード

  広島県のお好み焼き店やソースメーカー、学識者らでつくる一般財団法人「お好み焼アカデミー」(広島市西区)によると、同県内のお好み焼き店は約1800軒で広島市に700軒。松本重訓理事は「広島のお好み焼きの発展と戦争は無縁ではない」と語る。