【広島原爆の日70年】お好み焼きは「広島復興」の象徴 (1/3ページ) - 産経ニュース

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広島原爆の日70年

お好み焼きは「広島復興」の象徴 

常連客の前でお好み焼きを焼く梶山敏子さん=6日午前、広島市南区の「カジサン」(恵守乾撮影)
常連客の前でお好み焼きを焼く梶山敏子さん=6日午前、広島市南区の「カジサン」(恵守乾撮影)
コテ1本で家計支え 原爆孤児の梶山さん

 原爆で母親を失い、幼い身で孤児となった梶山敏子さん(74)。戦後お好み焼きの店を開き、50年にわたりコテ1本で家計を支え続けた。6日も、常連客のために店に立った。「戦争は絶対だめ。でも戦争があったから、今の自分がある」。常に前を向いて生き抜いてきた。

 「もう、70年もたったんだね。『原爆がなかったら』と、後ろ向きには振り返りたくないね」

 7畳ほどの広さで8人も座れば満員になる「KAJISAN(カジサン)」(広島市南区)。生地の上にキャベツや肉、中華そばなどを乗せ、重ねて焼く昔ながらのお好み焼きに、常連客が「昔懐かしい味」と舌鼓を打つ。「肉玉そば」の値段は30年ほど前から500円のまま。「多くの人に支えられて頑張ることができた。感謝の気持ちを込めて値段は変えない」

 4歳だった梶山さんは爆心地から1・2キロの祖父母宅にいた。家は倒壊し、黒い雨が降る中を近くの寺へ逃げた。働きに出ていた母、弘子さん=当時(23)=は遺骨すら見つからず、手元に残ったのは名前入りの糸巻きだけだった。父はすでに病没し、祖父母に育てられた。

 20歳で同じく原爆孤児だった昇さん(75)と結婚。長男の出産直前まで働き、産後6カ月で「家にいてもできる仕事を」と店を始めた。「自分の生活は自分で守る」という焦燥感に追われていた。