関西の議論

「八咫烏」が日本サッカーのシンボルになった理由 和歌山出身の高等師範学生が普及に注いだ情熱

 蹴球部は37年2月6日に横浜公園で、横浜の外国人のクラブと初めて対外試合を行った。実施に向けての交渉は覚之助が行い、同クラブに「挑戦状」まで送ったという。結果は0-9と大敗だったが、統一ルールのもとで初めて行った日本サッカー史上の記念すべき試合だった。

 その翌日には、覚之助と蹴球部の選手ら14人で記念撮影をしている。その写真の裏に覚之助は「不幸連戦連敗空シク恨ヲ懐イテ帰リシ」と負けた悔しさを表現。「今日以後吾人ノ期スル所ノモノ只遠カラズ」と今後のチーム強化への意欲も記している。

 スポーツジャーナリストの牛木素吉郎さん(83)は「日本サッカーで初めての対外試合というだけでなく、試合翌日に写真を撮っていることが大変意義深いと思う。覚之助自身がこの試合の重要性を自覚していた表れだ」と話す。

 初の対外試合から100年余り。覚之助は28歳の若さで病死したが、サッカーは日本で普及・発展した。

 日本サッカーの男子代表はW杯に毎回出場するまでになり、女子代表は4年前の前回W杯で優勝、今回も準優勝を果たした。男女とも代表ユニホームの胸に入った「八咫烏」のマークは、日本サッカーの歴史をも象徴している。