関西の議論

「八咫烏」が日本サッカーのシンボルになった理由 和歌山出身の高等師範学生が普及に注いだ情熱

サッカー熱

 同書では、イギリスのフットボール協会が定めた統一ルールを詳しく紹介。ボールの大きさやフィールドの広さなど基本的なことはもちろん、「オフサイド」などさまざまなルールが説明されていた。一方で、覚之助のサッカーにかける思いもつづられていた。

 日本には個人競技が多いが、団体競技には社会が一体となって近代化に進む効果が期待できること、サッカーは心身の鍛錬に優れていることなどを挙げ、「我国に於ける最も盛んなる遊戯となさんと欲す」と記述。さらに、「若(も)し、それ、遂に我が国中苟(いやしく)も都会を以て称せらる市に必ず此の『フットボールクラブ』の成立するを見るに至らば実に愉快なる現象と云ふ可し」(国内の各都市にフットボールクラブができれば、このうえないことだ)と書いている。

 中村統太郎さんは「サッカーが日本で始まるその時に、現在のJリーグのようなことを考えていたのには驚きました。日本でも人気の高いスポーツになり、また日本代表選手が世界で活躍する様子を(生きていれば)大変喜んでいるでしょう」と話す。

日本サッカー初の対外試合

 また覚之助は同書の出版前年の明治35年には、高師で蹴球部を創部した。覚之助は学生だったが、選手としては加わらず、部の運営やルールの指導などにあたったという。