浪速風

戦時下で開催された幻の甲子園

行進して入場する早稲田実業ナイン。前列右が清宮幸太郎=6日、甲子園球場(長尾みなみ撮影)
行進して入場する早稲田実業ナイン。前列右が清宮幸太郎=6日、甲子園球場(長尾みなみ撮影)

100年を迎えた全国高校野球選手権大会が第97回なのは戦争による中断があったからだ。開催されながら大会回数にカウントされない幻の甲子園がある。昭和17(1942)年、戦意高揚を目的に文部省などが主催した「全国中等学校体育大会野球大会」である。

▶「勝って兜の緒を締めよ」「戦ひ抜かう大東亜戦」の横断幕が掲げられ、空襲警報と誤認しないよう試合開始のサイレンではなく進軍ラッパが吹かれた。選手を「選士」と呼び、先発メンバーは負傷以外では交代できない。打者が内角の球を避けると「日本男子たるもの球から逃げるとは何事だ!」と審判に怒られたという。

▶だから死球がない特別ルールだったが、参加した16校は懸命に戦った。4万人の大観衆で埋まった決勝戦は延長11回、徳島商が平安中にサヨナラ勝ちした。これも幻の優勝で、公式記録では徳島商の夏の甲子園の最高成績は、板東英二投手を擁した33(1958)年の準優勝である。