浪速風

学童疎開は子供たちの戦争だった

向田邦子さんのエッセー「ごはん」は戦争中の体験を題材にしている。空襲から逃れて避難する人たちが家の前を通り過ぎたが、次々と上がる火の手に荷物を捨ててゆく人もあった。大八車が一台残され、その上におばあさんが一人、チョコンと座って置き去りにされていた。

▶6歳だった末の妹の和子さんもその光景を覚えている。「『ああ、足手まといになるってことはこういうことか』と感じ入ったからだ。『私も足手まといになってはいけない』と、それで私は疎開をする決心をしたのだった」(「向田邦子の青春」より)。以前、小欄で紹介した「字のない葉書」はその後のエピソードである。

▶学童集団疎開は昭和19(1944)年8月4日に始まった。東京や大阪など大都市から家族と離れて地方へ。8月22日には沖縄から本土へ向かう疎開船「対馬丸」が米潜水艦に撃沈され学童700余人が犠牲になった。戦局の悪化は子供たちも否応なしに戦争に巻き込んだ。