メダルをとると表彰式があり、記者会見もしないといけない。シドニーには「金」を取りに行っていたので、とても嫌でしたね。控室でIOC(国際オリンピック委員会)に名前を呼ばれても、「じゃまくさい。俺は、それどころじゃないんだ!」と。全日本柔道連盟の広報担当者から「頼むから行ってくれ」と言われて、嫌々ながら行きました。
やはり記者は審判がどうこう聞いてきました。だから「自分が弱いから負けたんです。それだけです」と言って切り上げた。それでもマスコミは好意的に書いてくれた。そのおかげで今の自分があるのでしょうね。
〈今は「銀」という事実を冷静に受け止めている〉
あの内股すかしの後、なぜ気持ちを切り替えて試合を続けなかったのかと思う。気持ちを切り替え、「もう一回投げてやろう」という気持ちで試合をしていたら、違う結果になっていたのではないか。そのままだったかもしれないけれど、ズルズルとやって、結局、負けた。
そういう意味で精神的に弱かった。柔道の心・技・体のうち、一番肝心な「心」ですね。今思えば何もできていなかったということです。
〈この試合をきっかけに国際柔道連盟はビデオ判定の導入などの誤審防止策をとる〉
ビデオ判定は、投げる前の過程や流れではなく、投げた一瞬だけを切り取る。いいところもあれば、悪い面もあると思います。
転身後も「引退していない」
〈シドニー五輪の柔道男子100キロ超級銀メダルから10年余。平成25年3月、40歳になったのを機に母校・天理大の准教授を辞める。妻の幸世さんと廃棄物管理会社を起こし、第二の人生を歩み始めた〉