先帝陛下の「終戦の詔書」を奉戴してより満70年の記念日が近づいて来る。この詔書を斯かる題で呼ぶのは〈吾等は…日本国に対し今次の戦争を終結するの機会を与ふることに意見一致せり〉とのポツダム宣言の冒頭句を受けた形で陛下が戦争を終結する手続に着手せよ、との勅命を政府に下し給うたと見る故に名づけた事である。
≪国民の耳に達した玉音放送≫
元来詔勅とは〈詔(みことのり)を承けては必ず謹しめ〉と上宮太子の仰せられた上古の昔から文字通りに唯奉戴服膺(ふくよう)すべきものであつて、その内容を批判的に論(あげつら)つたり字句の由来を穿鑿(せんさく)したりすべきものではなかつた。然(しか)し近代になると、五箇条の御誓文、軍人勅諭、教育勅語等を日本精神史上の重要文献と見て、その成立の由来や制定・発布の経過等に文献学的分析を施し、聖旨が歴史の展開に齎(もたら)した意味を考究し評価を下すといふ作業が、謹直な意図に発する史料研究の一種として承認される様になつた。畏れ多い話ではあるがこれも時代の要請の必然といふ事であらう。
さういふわけで、例へば昭和16年12月8日の米英両国に対する宣戦の詔書にも当時の指導的言論人であつた徳富蘇峰により『宣戦の大詔』と題する「謹解」の一書が直ちに著述・刊行されもした。