戦後70年 千葉の出来事

成田闘争(上) さながら白昼の市街戦

過激派が結集

 昭和42年ごろには条件付きで新空港建設の賛成に回り、空港側と交渉のテーブルに着く地元農家も増えつつあった。一方で、「絶対反対」の農民らは三里塚芝山連合空港反対同盟に結集し、マル学同中核派や社青同解放派、社学同の3派を中心に構成する三派系全学連といった過激派学生組織からの支援を受けた。過激派は現地に団結小屋を建て、地元反対派の養子になるなどし、着実に地域に根を張った。用地交渉に来た空港公団の職員らを襲撃するといった暴力行為も繰り返した。

 社会、共産両党は反対運動から距離を置くようになる。小川氏は「平和的に進めたかったが、反対同盟の集会にも必ず過激派が来ていた。彼らに集会であいさつはさせなかったが、『実力辞せず』の闘争になることを避けられなかった」とつぶやいた。

 次第に暴力闘争は本格化し、開港に至るまでの経過で46年9月に神奈川県警の機動隊員3人が過激派から襲撃を受けて死亡した東峰十字路事件が発生するなど、成田闘争は流血の歴史をたどった。(大島悠亮)