台北市でホテルの支配人をしていた洪銀河(故人)は戦争末期に海軍に徴兵され、仲間の慰霊をしたいという中嶋の熱意に深く共鳴したという。地権者との交渉は洪が代行。日本にいる中嶋に代わり、建設作業の監督も引き受けた。
洪と2人で台北から何度も現場に通った妻の李秀燕(64)は「なぜこんな面倒なことを引き受けたのかと夫に怒ったけれど、参拝者の涙を見て考えが変わった。戦争で命を落とし、故郷に帰れなかった日本人のために、できることをしようと思った」。
数千坪の敷地購入と建物(本堂)の建築費用は邦貨にして、ざっと4、5千万円。中嶋は私財をなげうち、遺族からの寄付(約2千万円)もそれに充てることにした。
潮音寺が所有権をめぐるトラブルに巻き込まれたとき、高雄の観光バス会社副社長、鍾佐栄(64)は中嶋の代理人となり、弁護士費用から和解金まですべてを負担した。南海に眠る戦没者を見守ってきた潮音寺は、いつしか「日本と台湾を結びつけるちょうつがいになった」(小川智男・潮音寺主管)。
今、潮音寺を守ってきた日台の関係者が心配するのは、常駐の管理者がいないため、老朽化した建物がさらに傷んでいくことだ。遺族らが参拝に訪れても十分な宿泊施設もない。慰霊祭実行委員長の渡辺崇之(たかゆき)(42)は「今後、潮音寺を存続させてゆくために委員会を立ち上げた。ぜひ皆さんの協力をお願いしたい」と呼びかけていた。=敬称略(台湾・恒春 喜多由浩、田中靖人)