病と生きる

アイドル・夏目亜季さん 子宮頸がんなど乗り越え「命の大切さ」を伝えたい

夏目亜季さん
夏目亜季さん

アイドルの夏目亜季さん(24)は平成26年秋、子宮頸(けい)がんと診断された。治療により卵巣機能は失われたが、転移していたリンパ節のがんも奇跡的に消滅し、寛解した。高校時代から難病を患い、デビュー後にものどの手術を受けるなど、数々の病気を克服してきた経験から、「若いと面倒に感じてしまうかもしれないが、おかしいなと感じたら、すぐに病院を受診してほしい」と呼び掛けている。(文・日野稚子)

もともと貧血の持病があります。高校の健康診断の血液検査で貧血であることが分かり、医師から激しい運動を禁じられていました。高校3年の6月、40度の高熱を出して病院に行くと医師から「脾臓(ひぞう)が腫れている」と告げられました。精密検査の結果、「自己免疫性溶血性貧血」と診断されました。

〈自己免疫性溶血性貧血は今年、国の難病(医療費助成対象疾病)指定を受けた。自分の赤血球を異物であるかのように攻撃する自己抗体が生産され、赤血球が破壊されることにより起こる貧血〉

主治医から「治療法はなく、薬を飲んで一生付き合っていくしかない」と言われました。実は、精密検査前に白血病を疑われ、死を想像していたので、薬を飲み続ければ大丈夫なのかと少しホッとしました。

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高校卒業後、歯科助手の仕事に就いたのですが、人気アイドルグループ「AKB48」に憧れ、芸能界入りを目指して23年6月に上京しました。

母にも主治医にも反対されましたが、ダンスボーカルユニットを組んでライブ活動を行ったり、テレビドラマ「GTO完結編」(フジテレビ系)に出演したり。軌道に乗り始めてきたときにのどに異常を感じました。のどにこぶができる声帯結節と診断され、手術を決めた直後の25年6月、自己免疫性溶血性貧血が再発しました。貧血が改善した4カ月後、のどの手術も無事に終わり、活動を再開することができました。

その頃から、生理周期が乱れていたのですが、貧血の薬を服用していたので、副作用だろうと思っていました。でも、26年春頃から不正出血がひどくなり、7月に高熱と血尿が出たんです。驚いて友人に相談すると、「ちゃんと病院に行きなよ」と言われました。

婦人科には抵抗がありましたが、友人の言葉に背中を押されて受診すると、「子宮頸がんの疑いがある」と。精密検査の結果はリンパ節転移のある子宮頸がんIb1期。医師からは「子宮全摘しかない」と告げられ、頭の中が真っ白になりました。早期発見だから大丈夫と思っていた母は「貧血の持病もあるし、子供は諦めてもいいから助かる道を選びなさい」と言いました。

「子供が生めなくなるのはいやだ」と思い、子宮の一部温存が可能な方法はないかと病院を探しました。しかし、紹介された大学病院で「子宮温存どころでない。生きるか死ぬかの問題」と言われてしまいました。

子宮頸がんの場合、リンパ節転移がみられるのは8センチ程度からなのに、私のがんは2・5センチ。進行が速かったんです。自己免疫性溶血性貧血の治療で免疫を抑制しているからではないかとも言われました。持病があるので、比較的体への負担が少ない放射線と抗がん剤で通院治療することになりました。

抗がん剤治療が6週間。並行して放射線治療が週5回。3週間目に入ると週に1度、腔内照射が加わりました。これは子宮内に管を入れて放射線を当てるのですが、耐えられないほどの痛みがありました。あれは本当につらかったですね。約2カ月間、平日は毎日通院して治療は終わり、今年1月、寛解しました。卵巣機能の喪失で更年期障害のようなホットフラッシュが起きることがあるけど、慣れつつあります。

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がんの診断後にブログで公表し、ファンや同じ病気の人からいろんな声が寄せられました。治療中は同世代の友人たちに八つ当たりのようなメールをしてしまうこともありましたが、そのうちの2人が私の病気をきっかけに婦人科を受診して卵巣嚢腫(のうしゅ)と子宮筋腫が見つかりました。体調に不安を感じたら、すぐに診察を受けてほしいです。

本格的な活動を再開させた今も自己免疫性溶血性貧血の薬を飲んでいます。がん治療中に作詞を手掛けた曲「負けない」に込めたように、命のすばらしさや乗り越えられない困難はないということを伝えていきたいですね。

夏目亜季

なつめ・あき 平成2年、京都府生まれ。京都府立西舞鶴高卒業後、歯科助手を経て平成23年に上京、タレント活動を開始。26年2月、アニメ「サクラカプセル」をPRするサクラカプセル看板娘として「また会おう」でCDデビュー。27年1月、ユニット「おちゃめモンスター」結成。

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