金正日(キム・ジョンイル)が手にした権力は、実務レベルでは父、金日成(イルソン)をしのぐものだった。一方で、権力掌握過程を間近で見てきた黄長●(=火へんに華)(ファン・ジャンヨプ)が「金正日が党機構を即興で動かすようになると、思い付きの政治を誹謗(ひぼう)する声が高まった」と回顧録に記すように、独断・専横に対する不満が朝鮮労働党内にくすぶっていた。
そんな反感に対し、正日は「秘密警察の数を増やし、自分を中傷している疑いがあるとの密告を受けると、容赦なく逮捕して処断し」(黄)、力でねじ伏せていった。そうした重苦しい空気にあっても反対の声を上げる幹部がいた。
代表格が、副総理兼軽工業委員会委員長の南日(ナム・イル)と副主席の金東奎(ドンギュ)、対南工作担当の党書記、柳章植(リュ・ジャンシク)だ。
なかでも、朝鮮戦争時に世界的に名が知られた政権重鎮の南日は「共和国と称する北朝鮮で、封建王朝のように世襲とはあり得ないことだ」と、正日後継体制に公然と反対を表明した。
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かつてソ連が派遣し、ソ連国籍を持つうえ、政権内でも人望の厚い南日は、幹部の生殺与奪権を握る党組織指導部長の金正日もおいそれと排除できなかった。金日成が、ソ連とつながりを持つ「ソ連派」を粛清していく中でも決して手を出さなかった人物だ。