さらば愛しき人よ

「扇橋の落語を聞きながら死にたい」 永六輔氏にそう言わせた落語家、入船亭扇橋さん

 66年正月の朝日新聞夕刊で、落語に見識を持つエッセイストの江国滋が、扇橋さん(当時は二つ目で柳家さん八)を取り上げ愛情たっぷりに書いている。

 《ちょっと器用にたちまわれば、たちまちスターダムにのしあがれる当世にあって、とにかく古典落語一本、ワキ目もふらずまっしぐらに、といいたいところだが、ワキ目もふらず、実はのろのろと歩み続けているところが、柳家さん八の身上である(略)亡き師匠桂三木助の小気味よい芸風を継承したこの人が、現師匠柳家小さんのきびしい訓練を受けて、スケールの大きな、花も実もある落語家になる日も、そう遠くはあるまい》

 わき目もふらずノロノロと歩む扇橋さんが真打ちに昇進したのは70年春、38歳のときだった。昇進にともなって入船亭扇橋という由緒ある名跡を襲名する。9代目であった。

 俳人としても着々と歩み、69年に俳句を趣味とする文化人たちとともに東京やなぎ句会を結成、宗匠(先生)に任命される。実力からいえば当然であるが、まだ二つ目で柳家さん八のころである。当初の顔ぶれは、小沢昭一、永六輔、桂米朝、柳家小三治、永井啓夫、三田純市、大西信行、矢野誠一、江国滋。やがて加藤武と神吉拓郎が加わる。

会員限定記事会員サービス詳細