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昭和17年6月、ミッドウェー作戦を展開中の南雲機動部隊は索敵機からの「敵空母発見」の知らせに焦りを隠せない。島への第二次空襲のため魚雷装着の攻撃機を陸用爆弾に転換中の突然の出現だった。しかも敵の攻撃機がこちらに向け発艦している最中だという。第一次攻撃隊を収容しながら再び爆弾から対艦用の魚雷へ転換する機動部隊に残された時間は少ない。「赤城」以下4隻の空母は必死の作業を続けたが、そこに…。
ここは「正攻法」で
「敵空母発見」の知らせは、南雲機動部隊の後方にいた主力部隊の「大和」も受信していたが、「作戦どおり」と比較的冷静に受け止められていた。あらかじめ敵機動部隊用に魚雷を装着した攻撃機を準備していたのだから、むしろ好機とみていた。
ところが、ミッドウェー島を空襲した第一次攻撃隊の要請で第二次攻撃隊の準備を進めていた南雲機動部隊の4隻の空母では必死の作業が続いていた。
敵空母の発見直後、機動部隊を指揮する南雲忠一中将は、「飛龍」「蒼龍(そうりゅう)」の2隻の空母からなる第二航空戦隊司令の山口多聞少将から、「陸用爆撃を装着したままで、ただちに発進すべし」などとする意見を受ける。
山口少将からすれば、艦載機を満載したままで敵の攻撃を受けることは火薬庫に火を付けるようなものなので、とにかく艦載機を手放したいのと同時に、敵空母の甲板に穴を開けるだけならという思惑があったようだ。