金正日(キム・ジョンイル)の後継者指名は、北朝鮮全土で熱気をもって支持された。1974年2月以降、全国で「金正日同志に最後まで忠誠を尽くそう」といった決議文や誓約書が先を争うように採択されていった。全国に発した根回しの通知が効き、地方組織も敏感に応じたのだ。
朝鮮労働党の最重要5ポストを手にした正日がまず着手したのは、党機構の改編と拡大だった。正日の権力掌握過程をつぶさに見てきた黄長●(=火へんに華)(ファン・ジャンヨプ)は「(正日が)実権を握るようになってから、おびただしい数の職員を増やした」と指摘する。
太っ腹な後継者だと見せ付けるため、一気に中央庁舎を10棟新築し、対南工作部署だけが入る立派な「3号庁舎」も別途設けた。それまで主要部署が入居していた本庁舎は自分と側近だけが使うことにし、内部を豪華に改装した。
「秘密基地」の地下トンネル
「執務室は3階建ての建物だ。3階全体が金正日専用施設。2階は側近の副部長二十余人の執務室で、1人1部屋が割り当てられた」
金正日の案内で、長男の金正男(ジョンナム)と一緒に執務室を見物した義理のおい、李韓永(リ・ハンヨン)は、『大同江(テドンガン)ロイヤルファミリー・ソウル潜行14年』にこう記す。「1階には秘書室があり、専属のタイピスト10人ほどが働いていた。報告書を、金正日が疲れないように大きな文字でタイプし直した」