マッドハウスがアニメ製作を担当、企画したのは丸山さんだった。斎藤さんは細田監督の次作「サマーウォーズ」でもプロデューサーを務めた。ヒット作2本を世に放った後、次の構想を練っているとき、細田監督の母が亡くなる。
「細田監督は葬式の後、自分の知らない母親の写真を見つけ、強く心が動いたと言います。そして、『子供を育てるために必死で生きる母親の姿を描きたい』と言ったのです」
斎藤さんは、細田監督のこの創作へのたぎる思いを叶えるためには-と考えた末にマッドハウスを辞め、独立することを決意、「スタジオ地図」を細田監督と創設する。
背中を押してくれたのは、またしても師匠、丸山さんだった。
未踏の新大陸目指し
「おおかみこどもの雨と雪」は大ヒットする。
しかし、斎藤さんはこう打ち明けた。「成功するかどうか分からない大きな賭けでした。この1本でスタジオ地図は終わるかもしれない。でも、この1本限定でも構わない、と覚悟していたんです」
斎藤さんは「スタジオ地図」を、「世界で最も小さなアニメ会社」と言う。事務所のスタッフは10人ほど。アニメ製作時に集まるアニメーターたちは、大半がフリーだ。
世界で最も小さなスタジオ-といえど、細田監督と斎藤プロデューサーというアニメ界の異端児がいったん動き出せば、日本アニメ界の総力が自然と結集される。