1枚の写真には、浴衣姿の男性に肩を抱かれる女性と、その間ではにかんだような表情を浮かべる少年が写っている。飯塚繁雄(77)と妻の栄子(71)、次男の耕一郎(38)が温泉に行ったときの写真だ。
繁雄の妹、田口八重子(59)=拉致当時(22)=が昭和53年に北朝鮮に拉致された半年後、耕一郎は2人の養子となった。写真は、その数年後に撮られた家族のワンシーンだ。幸せそうな3人だが、夫妻のほほ笑みの裏には隠された苦悩があった。
「こうちゃんに『よその子』なんて、絶対に言うんじゃないぞ」
1歳の耕一郎を養子として育てることを決めたとき、繁雄は3人の実子と約束を交わした。「お父さんの妹の子供だから」という説明を、小学生3人がどれだけ理解できたかは分からないが、3人とも「分かった」とうなずいた。
繁雄は「大事なことだから、いずれ耕一郎に伝えなければならないが、心が成長段階の時期には話せないと思っていた」と当時を振り返る。
小学校高学年で芽生えた疑念
突然やってきた末っ子を姉2人と兄は「こうちゃん」とかわいがった。栄子も実子と同じように耕一郎をしかり、褒めて育てた。
一度だけ、小学校高学年の耕一郎が、血縁を疑ったことがある。
「僕はきょうだいにあまり似てないよね。何でなの、かあちゃん」
ドキッとしたが、こう笑い飛ばした。
「何言ってるの。こうちゃんは2番目のお姉ちゃんにそっくりじゃない。お父さんにもそっくりよ」
62年11月29日、北朝鮮の工作員による大韓航空機爆破事件が発生。日本の警察当局は平成3年、実行犯で元工作員の金賢姫(53)に北朝鮮で日本語などを教えた日本人女性「李恩恵(リ・ウネ)」を八重子と断定した。