家族第4部 「拉致」に裂かれて(2)

「僕はきょうだいに似てないよね」 母の消息、真実伝えられず

拉致被害者、田口八重子さんの失踪当時から現在までについて話す飯塚栄子さん(宮川浩和撮影)
拉致被害者、田口八重子さんの失踪当時から現在までについて話す飯塚栄子さん(宮川浩和撮影)

 1枚の写真には、浴衣姿の男性に肩を抱かれる女性と、その間ではにかんだような表情を浮かべる少年が写っている。飯塚繁雄(77)と妻の栄子(71)、次男の耕一郎(38)が温泉に行ったときの写真だ。

 繁雄の妹、田口八重子(59)=拉致当時(22)=が昭和53年に北朝鮮に拉致された半年後、耕一郎は2人の養子となった。写真は、その数年後に撮られた家族のワンシーンだ。幸せそうな3人だが、夫妻のほほ笑みの裏には隠された苦悩があった。

 「こうちゃんに『よその子』なんて、絶対に言うんじゃないぞ」

 1歳の耕一郎を養子として育てることを決めたとき、繁雄は3人の実子と約束を交わした。「お父さんの妹の子供だから」という説明を、小学生3人がどれだけ理解できたかは分からないが、3人とも「分かった」とうなずいた。

 繁雄は「大事なことだから、いずれ耕一郎に伝えなければならないが、心が成長段階の時期には話せないと思っていた」と当時を振り返る。

小学校高学年で芽生えた疑念

 突然やってきた末っ子を姉2人と兄は「こうちゃん」とかわいがった。栄子も実子と同じように耕一郎をしかり、褒めて育てた。

 一度だけ、小学校高学年の耕一郎が、血縁を疑ったことがある。

 「僕はきょうだいにあまり似てないよね。何でなの、かあちゃん」

 ドキッとしたが、こう笑い飛ばした。

 「何言ってるの。こうちゃんは2番目のお姉ちゃんにそっくりじゃない。お父さんにもそっくりよ」

 62年11月29日、北朝鮮の工作員による大韓航空機爆破事件が発生。日本の警察当局は平成3年、実行犯で元工作員の金賢姫(53)に北朝鮮で日本語などを教えた日本人女性「李恩恵(リ・ウネ)」を八重子と断定した。

会員限定記事会員サービス詳細