東京時間旅行

百貨店の屋上(下)食や緑で大人も子供もくつろげる空間に

【東京時間旅行】百貨店の屋上(下)食や緑で大人も子供もくつろげる空間に
【東京時間旅行】百貨店の屋上(下)食や緑で大人も子供もくつろげる空間に
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 戦後、進駐軍の接収を免れた松屋浅草店(台東区花川戸)は昭和21年、1階の売り場に併設して遊園地「スポーツランド」を再開した。24年には屋上に60人乗りの「スカイクルーザー」が設置され、人気が殺到。夜はネオンに輝く姿が浅草の夜空を彩り、戦後復興のシンボルにもなった。

 28年に松屋に入社した松屋150年史編集準備室の佐柳寿雄(ひさお)さん(80)は「飲食店や娯楽の集まる浅草では、銀座店とは違う大衆百貨店にする狙いがあった。買い物客だけでなく、地元の子供たちは親からチケットをもらい、一日中遊んだ」と話す。

 「銀座の百貨店は、40年代に婦人服の品ぞろえを増やすようになるまでは紳士客が中心だった」(佐柳さん)のに対し、浅草店は女性や子供服、下着類を扱い、食品売り場もあった。ワンフロアを使った直営の大食堂も、注目を集めた。

 明治42年、前身の今川橋松屋呉服店に入店した松屋OBの斎藤信義さんは、浅草店の集客策について、「子供を集めるのが一番。上階に遊園地を設け、子供を安全にあずかっている間に奥様は下でお買い物。6、7階は貸ホールにして、稽古事とか、演芸に貸し、女性客を誘致できる」と、その著書に記している。家族そろって出かける百貨店の原型といえる。

スーパー、コンビニ、テーマパークの台頭

 しかし、時代は百貨店からスーパーマーケット、コンビニエンスストアへと、消費行動の変化とともに、小売業の主役を交代させていく。昭和6年から歴史を刻んだ松屋浅草店も、業績不振で平成22年5月、4階以上の営業を打ち切り、屋上も閉鎖された。現在は東武鉄道が24年11月に、昭和6年の建設当時の外観にリニューアルし、「浅草エキミセ」に変わった。

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