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戦力を保持しない日本の安全保障は駐留米軍に委ねるべきだと戦後の日本政府が最初に打ち出したのが、占領期の昭和22年9月、芦田均外相下の外務省で作成された「芦田メモ」だ。日米安全保障体制の「原型」と評価されながら、メモは米国政府に届けられなかったという説が有力だったが、占領軍ナンバー2のロバート・アイケルバーガー米陸軍中将を通じ、対日占領政策決定機関の極東委員会トップら米本国の要人に伝達されていたという証言が、メモを中将に手渡した終戦連絡横浜事務局長、鈴木九萬(ただかつ)氏の日記に記録されていた。(渡辺浩生)
芦田メモは、占領軍でマッカーサー元帥に次ぐ地位にあった米第8軍(本拠・横浜)司令官のアイケルバーガー中将が、鈴木氏に占領軍撤退後の日本の防衛について見解を求めたのをきっかけに、外務省幹部が作成。芦田外相が決裁した。
米ソ関係が改善されない場合、再独立後の日本の安全保障は2国間の特別協定により米国に委ね、日本の独立が脅威にさらされた際には、米軍に国内の基地を提供するのが「最良の手段」と位置づけた。
22年9月、一時帰国する中将に対し、鈴木氏から私信として手渡されたが、メモが米本国でどのように活用されたかは、従来の公開資料でも不明で、研究者の間では「(中将は)自らの参考にするだけにとどめ、アメリカ政府の要人には見せなかったようである」(坂元一哉氏「日米同盟の絆-安保条約と相互性の模索」)という見方が定説となっていた。