家族第4部 「拉致」に裂かれて(1)

田口八重子さん息子を迎えた義姉の37年 強く引き留めていれば…

 この間、八重子は夫との別居を決意し、2人を引き取りに来た。「東京の店で働いて、子供を育てる」。八重子の言葉に栄子は「変なことにひっかかるんじゃないか」と思った。

子育て決意固く

 「そういうところには行かないで。子供たちの世話は私も一緒にみるから」「店をやめてほしい」。栄子は何度も、八重子に上尾周辺の会社で働くよう説得した。

 だが、1人で子供を育てるという八重子の決意は固かった。「お姉さんに悪いから、自分で育てます」。最後には「お姉さんには迷惑をかけられない」と栄子に伝え、上尾から東京へ向かった。

 翌53年4月から2人の子供とアパートで暮らし始めた。「義理の姉とはいえ、血縁のない私に遠慮があったのだろう」。栄子は八重子の気持ちをそう推し量る。

 それからわずか2カ月後の失踪。栄子は、八重子の固い決意から、自分の意志で子供を残していなくなるとは思えなかった。あのとき、強く引き留めていれば…。後悔の念は今も心をさいなんでいる。

 八重子は長女と耕一郎を東京都内のベビーホテルに預けて働いていた。失踪時も2人はベビーホテルにおり、繁雄と栄子が迎えに行った。

 飯塚夫妻には3人の子供がおり、一番下の長男が小学校に上がったばかり。生活は楽ではない。栄子もパートに出始めたばかりだった。八重子がベビーホテルの1カ月分の契約を済ませ、料金を前払いしていたこともあり、夫妻は八重子の子供2人を平日にベビーホテルに預け、週末に自宅に連れ帰った。

「また内職すれば…」

 耕一郎はニコニコとよく笑う子供だった。長女は時折、さみしそうな表情を浮かべ、ベビーホテルに戻る時間になると大声で泣き、嫌がった。

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