ふるさとを語ろう

立教大学副総長・山口和範さん 恩師との出会い、研究の道へ

「船を操りダムで遊んでました」と語る山口和範氏
「船を操りダムで遊んでました」と語る山口和範氏

 北方謙三さんが、自身の曽祖父をモデルに書き下ろした「望郷の道」という名著があります。福岡と佐賀の県境の三瀬(みつせ)峠を下りた所にある北山(ほくざん)ダム(現佐賀市)周辺のことが描かれていますが、この近くが出身地です。

 父はダムの管理事務所長でした。小学生の頃は遊び場がダム。現在では絶対に1人で遊ばせてはいけない場所ですが、小さな伝馬船(てんません)を操り、魚を釣っていました。そんな経験を通じ、自然に対するリスク管理が身についていましたね。日曜日には、親戚(しんせき)が経営しているたばこ屋の店番を務め、お駄賃をもらっていました。銘柄はすべて暗記していました。もちろん、吸っていませんよ。

 通っていた北山東部小学校は、現在の全校生徒が十人前後という過疎校。当時は六十数人いたとはいえ、野球をしたくてもチームを組めない状況でした。一方、剣道が盛んな土地柄ということもあり、私も剣道部に所属しました。稽古が始まるのは朝7時。懐中電灯を持参して未舗装の片道3キロの道を徒歩で通いました。基礎体力が培われましたね。中学は8キロ離れていたので自転車かバスで通うことになります。峠を越えると5~6キロで済むため、徒歩のときもありました。

 中学卒業後は佐賀西高校に進学します。実家から通うのは不可能なので、学校から徒歩2~3分という場所に下宿しました。勉強に熱心な高校でしたが議論や思索に重きを置く校風で、休みの日は友人と語り合っていました。

 高校時代の友人とは、卒業25周年を機に、同じ学年の仲間同士で頻繁に会うようになりました。関東に住んでいる者同士で、サッカーJ1「サガン鳥栖」の応援に行ったりします。

 進路を決定する上で大きな影響を受けたのが、高1の時、担任との出会いです。その教師の担当は数学。「高校で学ぶ数学と大学での数学はまったく異なる」といった話に興味がわくようになり、「大学で数学を学びたい」と意欲が高まりました。

 その時点で、企業に就職するという選択肢は消滅しました。当時は経営学部の教授になるとは夢にも思っていませんでしたが、「絶対に研究者になる」という意志を固めていたのは確かです。

 大学は恩師と同じ九州大理学部数学科です。先生に感化されたこともあり、九大を選びました。理由はそれだけでありません。小学生のとき、よく平和台球場に連れていってもらったのですが、福岡・六本松にあった九大教養学部の前を通るたびに「入学できるといいね」と親に言われていたので、潜在的な志向があったのだと思います。

 九大には大学院を含め9年間通います。学位論文の作成に当たっては、昨年まで総長を務めていた有川節夫先生にもお世話になりました。学生時代はパチンコとマージャン。研究分野である統計分析手法も活用しながら楽しんでいました。たまに臨時収入もあり、あまりアルバイトをせずに済みました(笑い)。

 立教大学は文部科学省による「スーパーグローバル大学創成支援」に採択され、私は国際化推進を担当し、アジア各国との連携強化に向けてさまざまなプランを練っています。九州はアジアなしで成立しない経済圏の一角を占めており、立教で学んだことを生かせる最適の場だと認識しています。

 ただ、立教の学生は約4分の3が関東圏の出身者。学びの場のダイバーシティ(多様性)を追求するといった観点からは、あまり望ましくありません。九州出身の学生が増えるように、積極的に働きかけていきたいですね。(伊藤俊祐)

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 次回は味の素ゼネラルフーヅの横山敬一社長が登場する予定です。

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【プロフィル】山口和範

 やまぐち・かずのり 佐賀県立佐賀西高校、九州大大学院総合理工学研究科修了。平成2年立教大社会学部講師に着任。11年同教授。18年経営学部教授。27年から現職。52歳。佐賀県出身。

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