正論

新国立計画は再考できないのか 慶応大学名誉教授・池井優

 《ナチスの宣伝、北京の威信》

 ベルリンオリンピック(1936年)の開催が決まったのは、4年前の1932年のことであった。ヒトラー率いるナチス党が政権の座についたのは翌33年、ヒトラーは言った。「わしはオリンピックなどに関心はない。どうせアメリカが白人以外の選手を大勢送りこみ、メダルをさらうに違いない。これを機会にユダヤ人が大儲(もう)けをするんだろう」。「総統、ベルリンでオリンピックを開けば世界中から選手、役員と報道関係者がやってきます。わがナチス・ドイツの栄光を世界に宣伝する手段として活用しませんか」。宣伝大臣ゲッベルスの言葉に、ヒトラーはにわかにオリンピック開催に執着し始めた。

 ドイツを代表する建築家マルヒが設計した競技場は最新の材料と技術を駆使したものだった。スタジアムには鋼鉄、ガラス、外壁には装飾のないコンクリートの構築物がよいと考えたのだ。ヒトラーは激怒した。「現代的なガラス箱」で行われるオリンピックなら返上すべきだとさえ言った。ただちにスタジアムの鉄骨の骨組みは自然石で外装するように設計は変更された。