聞きたい。

秋山祐徳太子さん 『秋山祐徳太子の母』 江戸のきっぷのいいおかみさん

【聞きたい。】秋山祐徳太子さん 『秋山祐徳太子の母』 江戸のきっぷのいいおかみさん
【聞きたい。】秋山祐徳太子さん 『秋山祐徳太子の母』 江戸のきっぷのいいおかみさん
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 「意外にすらすら書けましたが、まだ書き足りないような」

 現代美術家の秋山祐徳太子さんが、母親の千代さんと過ごした濃密な生活をつづったエッセー集は、書き下ろしで400字詰め原稿用紙380枚にも及んだ。執筆にあたっては開高健ら有名作家が使った「新潮社クラブ」で数日間、缶詰めにもなったという。「文豪にはほど遠いですが、文豪になったような気分を味わえたのがうれしかった。何事も体験です」

 秋山さんが1歳のとき父親は他界。幼かった兄も亡くなった。本書の帯には「60年におよぶ史上最強の母子家庭…」とある。親子は毎日の出来事を何でも話した。「隠していても何でもお見通し。いい友人のようでした」という。

 千代さんは明治から平成を生きた。戦前は、東京・新富町で人気のお汁粉屋を営んでいた。言いたいことをズバズバ言う粋な下町のお母さんだった。戦後、店をたたんで港区高輪の都営住宅に移り住む。明るく面倒見のいい性格で、自宅は近所のお年寄りたちのたまり場になった。

 「お袋が高輪を気取らない下町のような雰囲気にしてしまったんだね。赤飯を届けてくれたりする人もいた。人情がありますよ」