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昭和17年5月、ハワイ攻略とアメリカ機動部隊の撃滅を狙い、北太平洋・ミッドウェー島に向け出撃した日本海軍。参加艦船は空母6隻、戦艦は大和など11隻を含む計約300隻。航空機が約1千機、兵力が約10万人と海軍始まって以来の大作戦となった。一方のアメリカ側は空母2隻に数隻の重巡洋艦と駆逐艦。ほかは島の航空隊や守備隊などと数では到底かなうものではなく、まるでトラとネコの戦いのはずだったが…。
手負いの空母「3日で修理しろ」
情報戦に一日の長があるアメリカの太平洋艦隊司令長官、チェスター・ニミッツ大将は5月の段階で、日本軍が6月上旬にミッドウェー島と同時に、陽動作戦として北方のアリューシャン列島のアッツ、キスカ両島を攻めることを見抜いていた。
とはいっても、日本との戦力差があまりにも大きいことから、アリューシャン方面の増援は最小限にとどめ、ミッドウェー島に新鋭機を含む約110機の航空機と寄せ集めながら海兵隊ら約3千人を配置した。
頼みの空母で健在なのは第16任務部隊のエンタープライズとホーネットの2隻のみ。これでは主力の空母4隻を持つ日本に対して、アメリカは半分ほどの戦力にしかならない。ニミッツ大将は洋上決戦に持ち込まれた場合の不安感をぬぐい去ることができなかった。
そこで望みを託したのが、ガナルカナル島の南、珊瑚海で繰り広げられた戦いで手傷を負った空母・ヨークタウンの復帰だった。